ジェシーという名のPierrot
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おはにです。
昔、国語の授業で読んだ現代文を未だに覚えています。
自分という存在を認識するには、まず他者の存在がなければならない。
そういった内容だったかと思います。
その説で言えば、我々がこの世に生まれて一番最初に認識する他者は母親であり、母親と自分の間に境界線を引くことで子供に自我が芽生えるんだそうです。
他人と違う部分を認めて初めて、それが自分だと思うわけですね。
いわゆるイヤイヤ期は、自分と他人の境界がまだ曖昧だからこそ、思い通りにならない他人を受け入れられずにパニックになり、癇癪を起こすのだという解釈もあるらしいです。
…すみません、毎度前置きが長いな。
さて、ここでジェシーの話になります。
私の思うジェシーは、「人と関わって自分を保つ」人です。
もうひとつ挙げるとするならば、「宮廷道化師を地でいく」人ですかね。
まずは、「人と関わって自分を保つ」ことについて話しましょうか。
ステージでパフォーマンスする彼を見たことがある人は分かると思いますが、ジェシーは
本当に「芸事」全てに長けています。
歌やダンスは勿論のこと、モノマネだったり、マジックなど手先の器用さを求められるものまで、ひと通りこなす。
「そんなこと出来たの!?」という特技がたくさんありますよね。
恐らくこれは彼自身が、他のJr…或いはタレントとの差別化を計った結果の賜物でしょう。
この差別化という行為が、ジェシーという人間を構成する上でとにかく大事な作業なんだろうな…と、個人的には感じています。
ジェシーが何故ここまで「他人と違う」「人の作った道じゃなく、自分の道を拓くこと」に拘るのか。
そもそもジェシーは、ジャニーズやアイドルにそこまで興味のない状態で入所したといいます。
ただ、彼はそこでシンプルにジャニーズ…或いはアイドル・タレントという存在に惚れ、憧れるのです。
根っからの音楽好きというのもあるでしょう。
そして、ジェシーは当時ジャニーさんが求めていた「ハーフの子」の1人として、活動を始めます。
この「ハーフ」という特性が、ジェシーが他のJrと違う点として1番初めに獲得した個性です。
しかしながら、ハーフのJrは他にもいます。
それだけでは、ジェシー自身が求められることはないのです。
代替可能なものではなく、この人じゃないとダメだと周りに思わせなくてはならない。
プロトタイプではダメなのです。
そういう唯一無二の存在というのは通常、他の誰も思いつかないオリジナルを生み出すことができる人です。
だからこそ輝き、求められ、ステージに立っている。
ジェシーもきっと、周りと違う何かを持たなければ自分自身が求められることはないと、早い段階で悟ったのでしょう。
学校の成績はどうあれ、人間的な生き方で言えばジェシーは聡く賢い人ですから。
しかしながら、これは本当に私の勝手な憶測ですが、ジェシーは0からオリジナルを生み出すより、周囲とどれだけ異なるかに自分らしさを見出しているように感じます。
だからこそ、比較対象がないとダメな人なのではないかな…と。
ジェシーが色んな人と交流したがり、話を聞きたがるのも。
バカレア以降、他のJrや北斗くんと組まされるようになってから、なかなかしっくり来なかったのも。
ジェシー自身にそういう面もあるからではないかと思うのです。
例えば、北斗くんとコンビで出されていた時のジェシー。
私は2人をリアルタイムで追いかけていた人ではないので、はっきりと言える訳ではありませんが、いわゆる「ほくじぇ期」のジェシーはどこか翳った空気を纏っている。
北斗くんと2人でステージに出るということは、「北斗と違いさえすればいい」、むしろ「2人の雰囲気を合わせて統一感を出せばいい」ということです。
本来ならばこれは喜ばしいことで、個性をより多様に発揮できるチャンスのように思います。
しかし、ジェシーの個性を出す1歩目が「他と違うこと」だとすれば、こんなに難しい環境はありません。
自分に1番近い比較対象が、北斗くんしかいないから。
だから、自分らしさが分からなくなる。
誰だって、自分を見失えば怖いですよね。
だからこそ、ジェシーは最初から6人、というかグループという形を望んでいて、更に自分にとって1番生きやすい環境だったバカレア組でもう一度パフォーマンスしてみたかった…のかもしれません(保険)。
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さて。
ここまで、他と違うものを見つけ、育て、手に入れてきたジェシー。
もちろんそれは彼自身が持っていたもの、または修得したもので、それを彼の個性だと言って何も間違いはありません。
気さくで明るくて、面白いことに貪欲で、よく笑い。
素直に人を誉め称え、受け入れ。
周りを笑わせるのも好きで、愛情深く、性別問わず愛を持って接している。
音楽が好き、踊るのも好き。
そんな彼のことを皆が愛しているし、愛されるべき人だと思います。
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ここで、2つ目の「宮廷道化師を地でいく」話になります。
自分を変えるということは、初めは多少、本来の自分を偽るということです。
これは、変わりたいと願う人間なら誰しもそうだと思います。
優しい人になりたいから、少しだけ妥協のハードルを下げてみる。
強い人になりたいから、今までやった事のないトレーニングをしてみる。
丁寧な人になりたいから、面倒な部屋の掃除を頑張ってみる。
心の奥底では「ちょっと嫌だな」と思いながらも、騙し騙しやっていくことで自分を変えていきます。
ジェシーも、無意識ながら多少自分を偽って生きていたっておかしくないんですよね。
最初に私がそう思ったきっかけは、雑誌の記事でした。
個人的に、アイドルの人となりを知りたかったら、私はまず雑誌から手をつけます。
これは、活字を追っているほうが、ちょっとした言い回しにその人の普段の感覚や考えが現れるような気がしているからという、もう本当に単純な理由ですけれど笑
様々な価値観に溢れるインタビューの中で、ジェシーの受け答えはとても優秀で、優しい子なんだなというのが伝わります。
ただ、彼の受け答えはちょっと優秀すぎるのです。
要は模範解答なんですよね。
あまりに綺麗すぎて、本音が全く透けて見えない。
もちろん、アイドルは職業ですから、何もかも全てそのままの素の人格でいてくれ、なんて思ってはいませんが。
彼を見ていると思い出す感覚があります。
それこそが、サーカスによくいるピエロ。
奇抜な服を着て、表情は崩さず、ひょうきんな動きで子供たちを笑わせている、あのピエロです。
ピエロと例えると、人によっては「ジェシーはあんなに不気味じゃない」と思うかもしれません。
それは個人の感覚なので仕方ないのですが、私自身はピエロを、その曖昧さと不透明さも含めて気にいっている節がありますので…。
どことなく「正体の見えなさ」を感じさせながら、ニコニコと周りに幸せをもたらす彼が、ピエロのように思えてしまうのです。
先程あえて宮廷道化師という書き方をしたのは、ジェシーは世間に植え付けられたイメージ以上に、実はかなり頭の切れる人だと私は思っているから。
何気ない1発ギャグも「同じのを繰り返さないと浸透していかないから…」と策略があったり。
作詞もこなすし、様々なコツを掴むのも早い。
ちょっと話は逸れますが、本来は彼、言葉遊びが好きな人だと思うんですよね。
でもSixTONESのなかでは言葉や語彙というと北斗くんのイメージがあるので、あまりその領域への侵食は敢えてしてなさそうな感じ。
そういう意味で言うと、ジェシーがダブルボーカルって形を取ったのは、譲れなかった相当な歌への熱量と、きょもちゃんへの限りなく深く大きなリスペクトなんですかね…。
ま、そんなことはどうでもよくて笑
話を宮廷道化師に戻しましょう。
樹が「大事なことはジェシーに決めさせる」「白いものもジェシーが黒と言えば黒」と絶対的信頼を置くように、宮廷道化師もまた、ふざけた立ち振る舞いの裏で王に批判を述べることの出来る稀有で賢い存在でした。
逆に言えば、王家に守られる道化師の化けの皮をひっぺがそうなどという不届き者もいないのです。
私としては、ジェシーにどこか作り物のような雰囲気を感じながら、実際そんな彼の生み出すエンターテイメントに魅せられ、その愛されるオーラに引き寄せられているのだから、その裏を覗こうなんて不粋な真似はしないでおきたい、と思っています。
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最後に。
デビュー間際の過去映像でも、多数のジャニーズJrの中でジェシーがひとつ飛び抜けて見えるのは、彼がジャニーズ「らしくない」からです。
産まれ持った背丈と体格はもちろん、ダンスも立ち振る舞いもどこか“違う”。
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これはジェシーだけでなく、SixTONESというグループにおいても言えることですが
今はまだ「ジャニーズらしくない」と言われている彼が、或いは彼らが。
いつか「SixTONESらしい」「これぞSixTONES」と、誰もが口にする日が来ると信じて
私が初めてRAMPAMPAMを見た時に思い起こした、Sing offにてPentatonixを評したショーンストックマンの言葉(但し最大限の意訳)を引用して締めてみようと思います。
私には、アカペラだけでなく、エンターテイメント全てに通ずる言葉だと思えたので。
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「君たちは、こういう曲は得意そうだもんな
守備範囲の直球ド真ん中だ
アカペラってのはまさにこれなんだよ
限界に囚われずに挑戦し、前例のない新しいものを生み出せるかにかかってる
今のはそれのお手本だ
上出来!」
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髙地優吾という不明すぎる男
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おはにです。
14歳の時、医療系の仕事に就きたくて受験して入った中学校の勉強方針が心底嫌になって、何もかも投げ出して部屋に篭ったことがあります。
当時の私はあまりに勉強したくなくて、母親に泣きながら「塾を辞めたい」「物書きの仕事がしたい」と訴えました。
我ながら勝手な主張です。
幸いなことに親はすごく出来た人だったので、「貴方がやりたいことを応援する」「でも今、勉強せずにいて将来また夢が変わった時、勉強しておけば良かったと後悔してほしくない」と訥々と諭してくれまして。
何が言いたいかというと、子供の頃、どうしても嫌でやりたくないことをやらされた経験ってありますよね。
例えば、習い事だったり、マラソン大会だったり、合宿だったり。
皆さんはそういう時、どうやって乗り越えてきましたか?
さて、髙地優吾くんの話をしましょうか。
髙地くんについては、私は「自己犠牲で物事を変化させてきた人」かなと思います。
髙地くんは、最初から「アイドル」に興味があって芸能界に入った人ではありません。
もちろん、そういうバックグラウンド自体は、他のデビュー組のエピソードでもちょこちょこ聞く話かと思います。
家族や友達に勝手に履歴書を送られていた…なんてのも、割と王道じゃないでしょうか。
しかし、彼の場合はかなり特殊ですよね。
番組で公開されながらのオーディションで、何千人から選ばれた1人。
そのオーディションへの応募も友達が勝手に。
試験会場へ行くのも、当時は渋りに渋って。
それでも、好きだったサッカーの予定を置いてまで行きました。
こういう辺りに、既に彼の性格がみてとれる気がします。
一回くらいなら予定を諦めて行ってもいいか、という考えだったのでしょう。
ただ、運命というのは案外、心からそれを求めていない人の元に舞い降りるものです。
髙地くんの持つ何かが、上の人間の目に止まった。
そうして、髙地くん自身が「やりたい」と望んだわけではないのに、彼のアイドル人生はスタートしてしまいました。
そこから、他のデビュー組の話でよくあるように、お仕事を楽しいと思ったり、秀でたスキルがあったり、良き仲間に恵まれたりすれば、また違う未来があったかもしれません。
髙地くんの場合は、当時の話を振り返ってみても、ただただ巻き込まれた運命に振り回されている印象です。
そうなれば当然、アイドルとして求められることが嫌になる時期が来るでしょう。
もっとダンスを練習しなさい、“アイドルなんだから”
もっと上手に歌を歌いなさい、“アイドルなんだから”
もっと楽しそうにステージに立ちなさい、“アイドルなんだから”
でも、当時の髙地くんにとってそういったスキルは別に必要なものではないんですよね。
心のどこかで思うでしょう、「だって俺、なりたくてアイドルになったわけじゃないもん」と。
これがただの習い事なら、簡単に辞められます。
でも髙地くんが望んでいなくても、彼は既にJrでもユニットを組むような位置に置かれていて、更にバラエティ番組の枠を持って、ある程度の責任を負いながら仕事をしている立場でした。
確かにやりたくない、でも全ての責任を投げだしてまで辞めることも、出来なかった人なのです。
しかしながら、この髙地くんの苦しみは、なかなか周囲に分かってもらえるものでもありません。
何故なら、彼の周りの多くは、髙地くんが持て余しているそのお仕事が欲しくて欲しくて、沢山の努力をしていて。
また別の種類の苦しみにもがいている人達だからです。
特に最初のユニットで、中島健人くんや松村北斗くんはそういった側の人間だったと思います。
髙地くんから見れば、ユニットに選ばれるような魅力を持ちながら夢の為に努力する彼らはキラキラしていたでしょう。
それと同時に、恵まれすぎている自分の立場に多少の負い目もあった。
だからこそ、その後、正体の分からないユニットの話が出た時、髙地くんは「俺はなしでいいよ」と言います。言えてしまうのです。
あの時点で北斗くんを1人残してデビューしてしまったとしても、SexyZoneというグループだけで考えれば、スキルも経験も足りないメンバーは他にもいましたし、さして大きな問題はありません。
(もちろん、年上年下組、衣装分け事件等、様々に困難があったのは承知ですが)
しかしそうなると、髙地くんはその先もずっと、北斗くんを始めとした“アイドルになりたくてもなれなかった子達“に申し訳なさを感じ続けながら仕事をすることになります。
そしてなにより、本人も言っていたように、北斗くんを「ほうっておけなかった」。
自分が望まないチャンスを手にするくらいなら、それを失ってでも北斗くんを1人にしたくない。
髙地くんは当時の己の需要を代償にして、北斗くんをすくいあげる為の時間を手にします。
この時のジャニーさんの考えは全く知る由もありませんが、時折聞くエピソードでもあるように、この方はよく
『○○と○○がいて、なんでここに△△がいないんだよ!?』
というような発言をされます。
そうやって引き連れられたメンバーが、以降のグループに加入していたりもして。
おそらく決められたユニットやグループとはまた違う、謎の枠組みがジャニーさんの中であるんでしょうが、そういった枠組みの話で言えば、当時SexyZoneのメンバー候補に北斗くんは入っていませんでした。
しかし、北斗くんという人間を中心にして考えたとき、その枠組みに髙地くんを入れることは出来たのだと思います。
ただそれはあくまで“友達”あるいは“相性のいい子”という表現でしか語られていない。
グループのメンバーとして…となると、悩みどころです。
バカレア組に髙地くんが放り込まれたのも、ジャニーさんの謎の枠組みによる計らいだったかもしれません。
真実は、分かりませんが。
とにかくそういった経緯で、髙地くんは北斗くんの知らないところでチャンスを一度蹴り、自暴自棄になった北斗くんを引き揚げようとします。
しかしこれは、髙地くんの人となりを考えれば相当難しい作業です。
髙地優吾という人物は、「受け止める力」に対人能力のほぼ全てを振っているくらい、受容することに関しては相当長けています。
逆に言えば、自分から相手に施すことが出来ないということです。
かつての負い目から、自分の苦しみが周りにとってどれだけ贅沢なものか、自分の小さな言動でどれだけの人を嫌な気持ちにさせるか、分かっていたからこそ。
軽い気持ちで手を差し伸べても、侮辱にしかならないことを心得ていたからこそ。
自分からは何もしないけれど、求められれば応えられる限り応える、というスタンスが出来上がったのではないかと思います。
彼のそういったスタンスは、以前記事にも少しだけ書いたように、北斗くんのようなタイプと距離を縮めるには相当大きな壁となります。
さらにバカレア組解体を経た頃には、北斗くんの中に「髙地くんと一緒にいて失敗したトラウマ」が出来上がっていました。
結局、北斗くんが本当に前を向いたきっかけはジェシーや樹を始めとした、髙地くん以外の人達です。
つまり、髙地くんの「自己犠牲」をもってしても、どうにも物事を動かせなかったのが北斗くんなのです。
すくいあげてやるどころか見守ることしかできず、自分との思い出をトラウマにさせてしまった。
そんな北斗くんそのものが、髙地くんにとっては逆にトラウマとなっている気がします。
そんな髙地くんが、今度こそ本気で守ろうとしている居場所。
SixTONESというグループは、それだけでも大きな価値があるように思います。
実際、今では定番のいじられキャラも、本来の髙地くんの性格とは違うはずなのに、それをキャラクターとして担っていたりしますね。
また、髙地くんの特徴としてよく挙げられる「聞き上手」「精神安定剤」「支柱」という言葉も、恐らく彼が意識的にそういった役割を引き受けているからでしょう。
先程書いた「受け入れる力」も、SixTONESのなかで大きな支えになっているようですね。
髙地くんはそういった、周りに合わせて自分で自分を変える努力が上手です。
そして、周りが苦しい思いをしないために努力するのであれば、それがどれだけ大変なことでも、自分にとって負担でもかまわないと思っている節があります。
傍目から見ても彼のそういった面は際立っていて、引き受けたものの皺寄せは一体どこへいっているのか疑問に思うくらいです。
これが髙地優吾の魅力のひとつでもあって、知れば知るほど摩訶不思議で、分かりやすいようで見えない部分が多い彼は、一度惹き込まれると目が離せなくなる。
とにかく不思議な人で、どう考えても一般人とはほど遠い。
それなのに、本人はケロッとした顔で「庶民派」「俺が1番普通」と言ってのけます。
もはや怖いですね。
SixTONESの一般人基準、誰か叩き直してきてもらっていいですか?
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松村北斗という拗らせ人見知り男の話
おはにです。
恥の多い生涯を送ってきました。
人間失格を読んだことがある同世代は、意外と多い気がしています。
一時期は「読むと鬱になる」なんて話題になってましたね。
昔も今も、人間関係って本当に難しい。
皆そうだと思いますが、誰もが散々人に裏切られ、絶望した経験があると思います。
そういったことを経て、それぞれに対人の心得があるように、私にもささやかに編み出した策はあります。
例えば、悪意に気づいてもあえて無邪気で鈍感なフリをしたり。
「信頼してる」って先手を打ったり。
気が合わない人からは何も言わずフェードアウトしたり。
自分を守る為に取る行動は人それぞれでしょう。
ここでようやく松村北斗という人物の話になるのですが、彼は誌面でも時々話してくれるように、「自分に向けられた興味関心を一度突っぱねてみる」ことで自分を守る人です。
『人からの誘いもまずは断る。
だって社交辞令かもしれないから。』
それはつまり裏を返せば、誰が相手だろうと「自分を誘ってくれた」のは彼にとって喜ばしいということですよね。
でも、それに喜んでみせて「冗談だったのに」「社交辞令だよ」「本気にしちゃって」と手の平を返される、あるいは相手を困らせることを怖がっている。
きっと、どこかでそういう経験をしたのでしょう。
もしかしたら、何度も、繰り返し。
そして、そういった場面で「ありがとうございます」と適当に受け流すことは、北斗くんには難しかったんだと思います。
北斗くんって、想像以上に素直な子ですよね。
褒められれば嬉しい。
貶されれば悲しい。
恋人に浮気されれば、「そうですか」と引く。
あまりにも真っ直ぐで、人の言ったことを言葉通り受け取ってしまう彼は、お世辞を口にできるほど器用でもない。
そんな彼の防衛術は100%褒められた方法ではありませんが、1回の牽制で退く相手ならその方が手っ取り早く、傷も浅くて済みます。
そこに至るまでに、裏付けるような経験があったのかどうかは定かではありませんが。
彼もまた大勢のように、自分が傷つかないように必死だったのだと思います。
特にバカレア組でのデビューのチャンスを逃してからは、より一層その思いは強くなったんじゃないでしょうか。
かつての彼の夢は周りの大人によって操られていました。
ざっくりした枠で話せば今も状況はそうかもしれませんが。
2度目のユニット解体は、当時10代の男の子が背負うには大きすぎる傷だったかもしれません。
「グループのセンターで歌って踊るアイドル」に本気でなりたかったからこその絶望。
シンメであった髙地優吾と組んだことがトラウマになるほどの。
少しゆごほくに話は逸れますが、あの日選ばれなかった2人が持っていた苦しみは全くの別物です。
「キラキラしたアイドルになりたかった」北斗くんの苦しみ。
「アイドルになりたい訳じゃなかった」高地くんの苦しみ。
そして、髙地くんが「ほうっておけない」という理由でデビューのチャンスを一度蹴ったという事実は、私は個人的に真逆の二面性を持っていると思っていて。
ひとつは、本来なら北斗くん1人が選ばれなかったかもしれない未来を、2人が選ばれなかった、2人の失敗に変えた髙地くんの優しさ。
そしてもうひとつは、あれだけアイドルになるために努力していた北斗くんを間近で見ていながら、髙地くんは自分に降ってきたデビューのチャンスを自らの意思で捨てたという、ある意味での残酷さと理解のなさ。
どちらの角度から見ても、何が正しかったとか間違ってたとかは、ありませんけれど。
2人の言う、「虫食いになってる」部分というのは、きっと他にもまだ沢山あって。
こういう二面性を持った事実があちこちに転がっていて、だからこそ今はまだ確かめる時期じゃないと思っているのでしょう。
さてさて、松村北斗に話を戻しましょうか。
他人の好意を突っぱねる彼は当然、孤独の世界にどっぷりと浸かり始めます。
彼自身、それで良しとしていた節もあるようですね。
自分にとって大切ではない人になんと思われようと、大事な人達が分かってくれていればそれでいい。
そういうスタンスは理解できなくもないのですが…SixTONESを結成し、アイドルグループとしてやっていくとなると多少無理があります。
一度北斗さんの自己防衛をくぐり抜け、心を開かせた人物であるジェシーは
『もっと明るくなってみれば?』
と助言しました。
このジェシーという人物は、現在のパブリックイメージとは違い、本来なら口下手でシャイな性格です。
しかし不思議なことに、人見知りの人というのは、人見知りの心を開く術を知っています。
突っぱねる北斗くんに対して、恐らくジェシーは強く踏み込んだんでしょう。
あるいは、同じようにシャイで口下手だったジェシーの変化、その強かさを横で見ていて、北斗くんの心を動かしたのかもしれません。
一筋縄でいったのかどうか、詳細は我々の知るところではありませんが、ジェシーは北斗くんの信頼を得ていました。
だからこそ、彼の助言は北斗くんにとって重みがある。
要するに、少なくともグループのメンバーは大切な存在として受け入れてみろ、ということだったのでしょう。
しかしながら、長年染み込んだ自己防衛の方法を使わずに他人を信頼するというのは、簡単な話ではありません。
癖ついた言動が無意識に出ることだってあったと思います。
冗談なのか本気なのか上手く汲み取れなかった時。
イラつきをぶつけてきた時。
自身のことを理不尽に否定された時。
特に結成後1~2年の、メンバー全員がグループに懐疑心を拭えなかった時期。
咄嗟に身を守るために相手を跳ね除ける選択をしたって、北斗くんにとってはおかしくない話です。
だってそれが彼の最善策だったから。
そして、残りの4人全員みんながみんな、以前のジェシーのように踏み込む強さを持った人というわけではありません。
距離が空く人とは空いていく。
特に髙地くん辺りは、北斗くんに心を開いてもらえる方法を知っていて、あえて距離を保った位置にいるような気がしています。
髙地くんに関してはまた別の場所で話したいと思いますが、少なくとも髙地くんの持つ“トラウマ”を挙げるとするなら、それは何かの経験ではなく、「デビューを逃して自暴自棄になり、隣にいる自分にも目を向けず閉じこもっていた北斗くん」そのものなんじゃないかと。
だから、今の北斗くんに嫌われることも恐れていて、あの頃どれだけ近づいても助けられなかった自分は、もうこの距離でいいと思っているような、そんな感じ。
ちょっと上手く言えないんですけどね。
兎にも角にも、最終的に北斗くんの心をSixTONESに繋ぎ止めたのは、グループとして残した結果と、メンバーと共に積み重ねた確かな時間なのではないかと思います。
ここまで書き連ねておいて、読む人によっては思うことがあるかもしれません。
『もっとうまく生きればいいのに』
なんていうところでしょうか。
けれど、人の気持ちなんてものは1日で変わります。
今日まで親友だった人が、明日も自分を好いていてくれる保障はどこにもないんです。
“ツンデレ”
“人見知り”
“拗らせ”
などと評されるように、
SixTONESが大好きで犬のようにメンバーに懐く北斗くんが、時折フッと思い出したように冷たく当たる時期が繰り返されるのは。
まだ彼の中で払拭できない恐怖があって、それ故の確認作業なのかもしれません。
この先、もっともっと北斗くんの抱える不安や懐疑心が少なくなって、そんな確認作業も減っていけばいいなとは思います。
ま、ここまで全部ただの憶測と妄想なんですけどね!笑
実際の真実も、彼の思ってることも我々には分かりません。
ただ、「こうだったらいいな」というお話でした。笑
推しを掛け持ちするということ。
おはにです。
寒がりで暑がりの私は、冬も夏も苦手です。
もっと言えば「春ですよ〜」って顔しながら冷たい風を吹かす3月もあんま好きじゃないです。
…どうでもいいですね笑
さてさて、SixTONESを好きになってまだ1年足らずの私ですが。
嵐を好きになってからは12年程経ちます。たぶん。あんまちゃんと数えてないけど。
私の人生で最も、いわゆる推し歴というのかオタ歴というのか…その期間が長いのが嵐です。
その片手間で沢山の推しが現れては消え、現れては消え。
ついに嵐が活動休止を発表した2年前、私は周囲にも自分にも大声で宣言しました。
「もう二度と新しい推しは作らない!!!」と。
なぜって私は、ファンとして応援する、という言い回しを使いながらも、実際日々を推しに支えられて生きていて。
そういう存在を失う悲しみに耐えきれなくなったことが大きな理由でした。
そんな私が逃れられなかった沼こそが、SixTONESなのですけれども。
ほんと、沼という単語を最初に使い始めた方、日本語の天才か?
まぁその話も後でしましょう(あ、コイツさては今日も長いぞ)
初めてファンクラブに入ったのも嵐、初めてお小遣いで買ったCDも嵐、初めてライブ参戦したのも嵐、初めて買ったアイドル誌の表紙も嵐
(あー…雑誌の話をし出すとananとか色々出てきて面倒なので割愛!)
私のオタ活の初めては全て嵐に捧げたようなもんです。
今思えば狂った信者くらいの熱量でした。
そりゃ当時の冠番組は全て網羅していたし(流石に深夜枠は起きてると親に怒られるので録画してました。おかげで未だに宿題くんは火曜日のご飯時なイメージ)
中学生では雑誌が全て買えないので記事の文章を暗記して帰ってノートに文字起こししたり。
歌詞を覚えたくて、小さなメモ帳を買ってきて授業中にこっそり覚え書きとかもしてました。
…いやなんだそれ。
本当に意味が分からないですね。
あの頃の私は一体何をしてたんでしょう。
だいぶ頭がとち狂っておりますね。
かと言って、じゃあ具体的に彼らのどこが好きかって問われると困るのですが笑
私が嵐にのめり込んだ頃には、彼らはすでに今の嵐に近いような、「誰よりも5人自身が嵐を愛している」ことを全面に押し出してくれるグループでした。
それはつまり、ファンよりも最上級の、メンバーというフィルターを通した、キラキラ輝いた嵐を見せてくれるということで。
彼らを追いかけていると、色んなところでポロポロとその輝きの欠片を落としてくれるのが嬉しかったんですね。
そのなかでも私はメンバーが語るメンバーというものがとにかく大好きでした。というか今も大好きです♡
今じゃどんなSNSにも溢れるようなファンアート、ファン動画ってありますよね。
あれってやっぱりファンフィルターを通しているからなのか、そのアーティストがすごく魅力的にうつる気がしてるんですが。
なんというか、作り手の感じたキュンを疑似体験するような…(ああほんと感情を文字に起こすのが下手!)
嵐の皆さんが語る嵐って、それの特大爆弾みたいなものなんです。
先程割愛してしまった雑誌、もうあんなものは爆弾庫でしかない。
私の脆い心臓なんか大破してなくなる。
毎月飽きることなく出るわ出るわエピソードの山!
文面からヒシヒシと伝わる「こいつ可愛いでしょ〜?」というデレッデレの感情!
オタク相手にマウントでも取りよんか?彼氏なんか?とツッコミたくなるような。そんな感じ。
そういうの見てるだけで私はとっても幸せなんですよね。
きっとそんなメンバー大好き!になるまでに紆余曲折あったんでしょうけれども、兎にも角にも、私が惚れた嵐さんはそういう形をしておりました。
とはいえ、仲良しこよしでベタベタの嵐が好きな訳でもない。
意識しなくても溢れる「信頼感」、これこそが醍醐味なわけです(やかましいな)
さてさて、ここでSixTONESさんに話をうつしましょう(まだあるんかい)。
SixTONESさんには、久しぶりに嵐さんにハマった頃と同じ熱量を感じてはいますが
今の私を取り巻く環境が変わったこともあって、流石に彼らの曲の歌詞をノートに書き出すような奇行を犯すことはしていません。
確かに同じ事務所で、男性アイドルグループなんですけど、両者を別物に捉えているので推し方もまったく違うんですよね。
YouTubeにどハマりした影響で嵐関連以外のテレビ番組からは数年離れていたのですが、SixTONESさんのおかげで最近テレビを沢山観るようになりました(そしてひな壇のメンツを知らんすぎて我ながら引く)。
こんなに目を凝らして「ぐぬおお…あ!いた!」ってバラエティ番組のワイプを見つめるのは25年の人生で初めてかもしれません笑
推しのラジオを毎週聞くのも、初めてです。
YouTubeで解禁されたMVを観て、部屋で1人涙ぐむのも。
雑誌の表紙が嬉しすぎて重複しちゃって頭抱えるのもね笑
推し活の初めては全て嵐さんに捧げたと思っておりましたが、まだまだ沢山の初めてをSixTONESさんに経験させていただいています。
そうやってSixTONESにのめり込む私を見て、母は「嵐からSixTONESに乗り換えたの?」と尋ねました。
私は、その質問には大きな声でNOと答えます。
だって、SixTONESさんは嵐さんの代わりにはなれないんですもん。
それは逆も然り。
掛け持ちが相当大変なのは百も承知で、私はこれからも様々な場所でアラスト担を宣言していくと思います。
Twitterもそうですね。
嵐だけが好きな人にとって、SixTONESのことを呟く私のアカウントは特に興味の湧かない文章ばかりでしょう。
SixTONESだけが好きな人にとっても、同様に。
鍵こそかけてなかれ、Twitterの隅にいるのをいいことに、結構好き勝手呟いています。
そんな私のオタ垢のたったひとつのルールは、「推しのマイナスイメージを書かない」こと。これだけです。
万万が一、本人の目に入る可能性があるのも理由のひとつですけれど。
なにより私自身が、何気ない言葉の重みというのを実感していて、自分が嫌なことを言う立場になりたくないからというのが、本当のところだと思います。
とかいうて、実際呟いてること、すっごい気持ち悪いオタク全開なんですけどね笑
ああー、今日も頑張りますかねー
(突然の終了)
音楽好きじゃない私の、好きな音楽の話
おはにです。
こんな風に長い文章を書くのは、約1年ぶりかもしれません。
昔、別界隈で物書きの真似事をしておりましたが、割と中途でやめたような人間です。
先日25歳となりまして、どうも私はおばさんという枠に片足を突っ込み始めた模様ですね。
…あ、待って改めて書くと結構なダメージ()
そんな私ですが、音楽については幼少期から人並みに触れさせてもらえた方かと思います。
母親が3歳から15歳までピアノを習わせてくれたおかげで、楽譜も読めるし音を拾うのも苦じゃない(面倒くさがりだから耳コピとかしないけど)。
ただ、コード名はちんぷんかんぷんです。
歌だって、放送部をやってたおかげで発声もぼちぼちできるし音程も外さないんだけど、「めちゃくちゃ頑張った人」「元から上手な人」には完敗するレベル。
地元の友達にカラオケで「上手だね」って言われる子みたいな。
日本という場所で、私と同世代なら、もしかしたら似たような人…多いんじゃないかなと思います。
まぁ偉そうに言っといて実際知らんけど(鼻ほじ)(発言には責任持ってください)
そんな私は自分のことを「音楽好き」だと思ったことはありません。
音楽を楽しむ心は持ち合わせておりますが、音楽がないと死ぬって程でもない。
詳しい知識があるんでもない。
クラシック以外の音楽の歴史だって知らない。
好きな物、趣味という枠で語るならメイクの方がよっぽど好きです。
申し訳ないけれども、人生で歌を聴いて呆気に取られて感動したのは中学生の頃、たまたま見れた「モーツァルト!」の舞台くらいかも。
あーミュージカル、また見に行きたいな〜(脱線常習犯)
そもそも私、決まったアーティストを好きになることってなかったんですよね。
曲を好きになってループすることはあっても、それを歌ってる人、作ってる人に興味はなくて。
まぁ有名な人に対して「すごい!」ってなるミーハー精神はありますけど笑
歴代の推したちも、好きになった理由は「顔がいい」か「性格が好き」かの2択。
そりゃ推しが歌うならCDもDVDも買いますけど、歌が絶対的必要性のあるものでもなくて。
音楽番組も「推しが出るから」ってなんとなくテレビつけて、顔がいいなぁと眺めてました。
(3歳の頃にドル誌をしゃがみこんで眺めて「かわいい〜」と零すくらい私は根っからの面食い、この話を祖母から聞いた時は自分でも引いた)
歌声が好き、とか。
作る曲が好き、とか。
ある程度の好みはあっても、そこに他人がかける熱量の多さがよく分からなかったんですよ。というか知ろうとも思わなかった。
でも分からないもんですね、人って。
こんなにもSixTONESの生み出す音楽自体にハマるとは。
しかもなにせ彼ら、顔がいい(こら)
これ、私の言うこの、「SixTONESの生み出す音楽が好き」というのは決して
歌が上手いから好き
なわけではないということをまず言っておきます。
あともうひとつ、音楽って音だけが全てじゃないってことも。
先述したように、ある程度の音楽教育を通ってきてしまった私の耳では「うわぁ!6人ともすっごく歌がうまい〜!」と心から素直に声を上げるのはやっぱり少し難しいです。
ただ、それを咎める気持ちは全くありません。
てかジャニーズという枠内で言うなら充分な歌唱力だと思う。
きょもなんてミュージカル俳優だもんね。きょものビブラート最強。美味しいもぐもぐ。大好き(あっまずい、キモオタの人格が出てきた。ちょっと帰っていただいて…っと)
でも上手なだけの歌なんかよりもずっとずっと、スキルを超えた素敵な魅力があるから、それで勝負していけると思うから、私はSixTONESが好きなんです。
だって、SixTONESを好きになってから、見るステージ見るステージで窺える「いま俺らを見てる奴ら、ぜってぇ逃さねぇぞ」とでも言いたげなあのオーラ。
なんなんだ…目が離せん…ってなります、そりゃ。
ふと見せる表情、カメラに抜かれるとこちらを射抜くかの如く与えられる視線と仕草。
SixTONESってずるい。
ずるすぎるのよ。
そーんなーん、惚れてまうやろぉ!のやつです(あっごめんなさいね、なにせ世代が古くて)
ステージでの爆発的な引力で言えば、直近では先日のoneST配信ですね。
私、ヘッドホン繋いで聴きました。
常に生歌で勝負してくれる彼らの、心からの声をしっかり聴いてパフォーマンスを見たかったから。
そして流石ですよね、全パフォーマンスで画面下に歌詞が流れてるの見た時はそれだけで胸がいっぱいでした。
お陰様で、表現力の爆発と彼らの気迫が真っ直ぐに届いて、終盤のSTを聴く頃には息を吸うのがやっと、泣くのを堪えるのに必死でした。
画面越しなのに、もう彼らしか見えなかった。
でもその後、感想共有しようと思ってTwitterに行ったら黄色さんの歌声やSTのハモりがバチボコに叩かれてて、勝手に自分で地雷踏んだだけだけどめっちゃ悲しくてSNS嫌いになりそうだった笑
そりゃ私だって、音程のズレが気になったりしますよ。
あー今日すっごい不安定だな、あらら不協和音だわ、テンポずれてるなーって。
でもそれが邪魔になってSixTONESのパフォーマンスを楽しめないなら、私は、絶対音感とかそういうの要りません。
一生音楽好きになれなくていい。
詳しい知識だって、歴史だってジャンルだって知らないままがいい。
そんなくだらないものに邪魔されてこのときめきを得られないなんて哀れすぎる。そんな自分なんか惨めだ。
だって私は、歌が上手い人達が集まったカラオケ採点で100点が出るのを待ってるわけじゃないんですもん。
ましてや音楽プロデューサーでもあるまいし。
そんなことより何を伝えたくて、どんな想いを抱えてるのかを知りたくて、受け取るのに必死なんですよね。
もちろん、批評を害悪とは言いませんよ。
受け取る側の耳が肥えてるからこそ、より良質なものが提供されていくわけですから。
でも私はもう、そういう指摘は彼らに直接関わるプロの仕事だと思ってるんで、更に良い環境にしてもらえるようにお金沢山落とそうかなって感じです(あ、真面目な雰囲気に耐えかねてふざけ始めましたよ?)(事務所に金落としても本人達に還元されるかどうかは神のみぞ知る)
とはいえ、きっと彼らをここまで好きになったのは、魅力はパフォーマンスだけじゃないって知ってしまったからなんですけどね…笑
なんっであんなラジオとYouTube面白いかな〜。
でもYouTubeはもっとくだらん企画でも大丈夫ですよって笑
さぁ…なんというかすっごい話があっちこっちいきましたけど笑
基本的に私は推しが幸せに息吸って吐いてりゃいいタイプの盲信系オタクですので、「変わってほしいから厳しいこと言うの!」的な推しで育成ゲームタイプの人とは相容れないなって話でした(あれっタイトル)