ジェシーという名のPierrot

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おはにです。



昔、国語の授業で読んだ現代文を未だに覚えています。



自分という存在を認識するには、まず他者の存在がなければならない。



そういった内容だったかと思います。



その説で言えば、我々がこの世に生まれて一番最初に認識する他者は母親であり、母親と自分の間に境界線を引くことで子供に自我が芽生えるんだそうです。



他人と違う部分を認めて初めて、それが自分だと思うわけですね。



いわゆるイヤイヤ期は、自分と他人の境界がまだ曖昧だからこそ、思い通りにならない他人を受け入れられずにパニックになり、癇癪を起こすのだという解釈もあるらしいです。



すみません、毎度前置きが長いな。





さて、ここでジェシーの話になります。



私の思うジェシーは、「人と関わって自分を保つ」人です。



もうひとつ挙げるとするならば、「宮廷道化師を地でいく」人ですかね。




まずは、「人と関わって自分を保つ」ことについて話しましょうか。




ステージでパフォーマンスする彼を見たことがある人は分かると思いますが、ジェシー

本当に「芸事」全てに長けています。



歌やダンスは勿論のこと、モノマネだったり、マジックなど手先の器用さを求められるものまで、ひと通りこなす。



「そんなこと出来たの!?」という特技がたくさんありますよね。



恐らくこれは彼自身が、他のJr…或いはタレントとの差別化を計った結果の賜物でしょう。



この差別化という行為が、ジェシーという人間を構成する上でとにかく大事な作業なんだろうなと、個人的には感じています。




ジェシーが何故ここまで「他人と違う」「人の作った道じゃなく、自分の道を拓くこと」に拘るのか。





そもそもジェシーは、ジャニーズやアイドルにそこまで興味のない状態で入所したといいます。



ただ、彼はそこでシンプルにジャニーズ或いはアイドル・タレントという存在に惚れ、憧れるのです。



根っからの音楽好きというのもあるでしょう。



そして、ジェシーは当時ジャニーさんが求めていた「ハーフの子」の1人として、活動を始めます。



この「ハーフ」という特性が、ジェシーが他のJrと違う点として1番初めに獲得した個性です。



しかしながら、ハーフのJrは他にもいます。



それだけでは、ジェシー自身が求められることはないのです。




代替可能なものではなく、この人じゃないとダメだと周りに思わせなくてはならない。



プロトタイプではダメなのです。



そういう唯一無二の存在というのは通常、他の誰も思いつかないオリジナルを生み出すことができる人です。



だからこそ輝き、求められ、ステージに立っている。






ジェシーもきっと、周りと違う何かを持たなければ自分自身が求められることはないと、早い段階で悟ったのでしょう。



学校の成績はどうあれ、人間的な生き方で言えばジェシーは聡く賢い人ですから。




しかしながら、これは本当に私の勝手な憶測ですが、ジェシー0からオリジナルを生み出すより、周囲とどれだけ異なるかに自分らしさを見出しているように感じます。





だからこそ、比較対象がないとダメな人なのではないかなと。





ジェシーが色んな人と交流したがり、話を聞きたがるのも。



バカレア以降、他のJrや北斗くんと組まされるようになってから、なかなかしっくり来なかったのも。



ジェシー自身にそういう面もあるからではないかと思うのです。





例えば、北斗くんとコンビで出されていた時のジェシー


私は2人をリアルタイムで追いかけていた人ではないので、はっきりと言える訳ではありませんが、いわゆる「ほくじぇ期」のジェシーはどこか翳った空気を纏っている。




北斗くんと2人でステージに出るということは、「北斗と違いさえすればいい」、むしろ「2人の雰囲気を合わせて統一感を出せばいい」ということです。



本来ならばこれは喜ばしいことで、個性をより多様に発揮できるチャンスのように思います。




しかし、ジェシーの個性を出す1歩目が「他と違うこと」だとすれば、こんなに難しい環境はありません。



自分に1番近い比較対象が、北斗くんしかいないから。



だから、自分らしさが分からなくなる。



誰だって、自分を見失えば怖いですよね。




だからこそ、ジェシーは最初から6人、というかグループという形を望んでいて、更に自分にとって1番生きやすい環境だったバカレア組でもう一度パフォーマンスしてみたかったのかもしれません(保険)




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さて。


ここまで、他と違うものを見つけ、育て、手に入れてきたジェシー



もちろんそれは彼自身が持っていたもの、または修得したもので、それを彼の個性だと言って何も間違いはありません。




気さくで明るくて、面白いことに貪欲で、よく笑い。


素直に人を誉め称え、受け入れ。


周りを笑わせるのも好きで、愛情深く、性別問わず愛を持って接している。


音楽が好き、踊るのも好き。




そんな彼のことを皆が愛しているし、愛されるべき人だと思います。




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ここで、2つ目の「宮廷道化師を地でいく」話になります。




自分を変えるということは、初めは多少、本来の自分を偽るということです。




これは、変わりたいと願う人間なら誰しもそうだと思います。




優しい人になりたいから、少しだけ妥協のハードルを下げてみる。


強い人になりたいから、今までやった事のないトレーニングをしてみる。


丁寧な人になりたいから、面倒な部屋の掃除を頑張ってみる。




心の奥底では「ちょっと嫌だな」と思いながらも、騙し騙しやっていくことで自分を変えていきます。




ジェシーも、無意識ながら多少自分を偽って生きていたっておかしくないんですよね。




最初に私がそう思ったきっかけは、雑誌の記事でした。




個人的に、アイドルの人となりを知りたかったら、私はまず雑誌から手をつけます。



これは、活字を追っているほうが、ちょっとした言い回しにその人の普段の感覚や考えが現れるような気がしているからという、もう本当に単純な理由ですけれど笑




様々な価値観に溢れるインタビューの中で、ジェシーの受け答えはとても優秀で、優しい子なんだなというのが伝わります。




ただ、彼の受け答えはちょっと優秀すぎるのです。



要は模範解答なんですよね。



あまりに綺麗すぎて、本音が全く透けて見えない。



もちろん、アイドルは職業ですから、何もかも全てそのままの素の人格でいてくれ、なんて思ってはいませんが。




彼を見ていると思い出す感覚があります。



それこそが、サーカスによくいるピエロ。



奇抜な服を着て、表情は崩さず、ひょうきんな動きで子供たちを笑わせている、あのピエロです。



ピエロと例えると、人によっては「ジェシーはあんなに不気味じゃない」と思うかもしれません。


それは個人の感覚なので仕方ないのですが、私自身はピエロを、その曖昧さと不透明さも含めて気にいっている節がありますので



どことなく「正体の見えなさ」を感じさせながら、ニコニコと周りに幸せをもたらす彼が、ピエロのように思えてしまうのです。





先程あえて宮廷道化師という書き方をしたのは、ジェシーは世間に植え付けられたイメージ以上に、実はかなり頭の切れる人だと私は思っているから。




何気ない1発ギャグも「同じのを繰り返さないと浸透していかないから」と策略があったり。


作詞もこなすし、様々なコツを掴むのも早い。




ちょっと話は逸れますが、本来は彼、言葉遊びが好きな人だと思うんですよね。


でもSixTONESのなかでは言葉や語彙というと北斗くんのイメージがあるので、あまりその領域への侵食は敢えてしてなさそうな感じ。



そういう意味で言うと、ジェシーがダブルボーカルって形を取ったのは、譲れなかった相当な歌への熱量と、きょもちゃんへの限りなく深く大きなリスペクトなんですかね




ま、そんなことはどうでもよくて笑




話を宮廷道化師に戻しましょう。




樹が「大事なことはジェシーに決めさせる」「白いものもジェシーが黒と言えば黒」と絶対的信頼を置くように、宮廷道化師もまた、ふざけた立ち振る舞いの裏で王に批判を述べることの出来る稀有で賢い存在でした。




逆に言えば、王家に守られる道化師の化けの皮をひっぺがそうなどという不届き者もいないのです。




私としては、ジェシーにどこか作り物のような雰囲気を感じながら、実際そんな彼の生み出すエンターテイメントに魅せられ、その愛されるオーラに引き寄せられているのだから、その裏を覗こうなんて不粋な真似はしないでおきたい、と思っています。





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最後に。




デビュー間際の過去映像でも、多数のジャニーズJrの中でジェシーがひとつ飛び抜けて見えるのは、彼がジャニーズ「らしくない」からです。



産まれ持った背丈と体格はもちろん、ダンスも立ち振る舞いもどこか違う




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これはジェシーだけでなく、SixTONESというグループにおいても言えることですが


今はまだ「ジャニーズらしくない」と言われている彼が、或いは彼らが。





いつか「SixTONESらしい」「これぞSixTONES」と、誰もが口にする日が来ると信じて



私が初めてRAMPAMPAMを見た時に思い起こした、Sing offにてPentatonixを評したショーンストックマンの言葉(但し最大限の意訳)を引用して締めてみようと思います。







私には、アカペラだけでなく、エンターテイメント全てに通ずる言葉だと思えたので。





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「君たちは、こういう曲は得意そうだもんな


守備範囲の直球ド真ん中だ


アカペラってのはまさにこれなんだよ


限界に囚われずに挑戦し、前例のない新しいものを生み出せるかにかかってる


今のはそれのお手本だ


上出来!」






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